禁断の科学裁判
 
−−−ナウシカの腐海の森は防げるだろうか−−−

ディフェンシン耐性菌に聞いてはいけない10の質問(作成途中)(柳原敏夫。127.2006)


Q1 【「遺伝子組替え」のコトバの謎1】

「遺伝子組替え」というけれど、「組替え」って、本来、元の何かと新しい何かを入れ換える(交換)ことです。でも、「遺伝子組替え」操作の実際は、交換するんじゃなくて、単に新しい遺伝子を付け足しているだけでしょう。単に足しているだけなのだから、だったら「遺伝子追加」が正確じゃないですか。正確さが命の科学の世界で、どうして、こんないい加減な「組替え」というコトバを使うんでしょうか。
なにか、訳でもあるんでしょうか。

Q2 【「遺伝子組替え」のコトバの謎2】

今度は、コトバの質問のことではなくて、実際の中身です。遺伝子組換えの本質が「遺伝子追加」だったら、それは、遺伝子がこれまでより単純に増える訳ですから、タンパク質を作り出すという遺伝子の仕事の量もこれまでより単純に増えることになるでしょう(仕事をさせないんだったら、遺伝子を追加した意味がない)。それって、生命にどんな影響を及ぼすんでしょうか。1つ1つの細胞の仕事の増大はたいしたことがなくても、生命の総体としてみたとき、それはバカにできないのではないか。だから、実は結構深刻な影響があるんじゃないかと私はとても気になっています。なぜなら、誰でもそうですが、仕事の量がこれまでより増えたら、きつくなります。中には体調を壊す人も出てきます(私みたいに、このGMイネの裁判1つ増えただけで体調をおかしくした者もおります)。よく、遺伝子操作した生物は虚弱で短命だという話を聞きますが、その原因は解明されているのでしょうか。あれは端的に過労死ではないのですか。今までよりたくさんサービス残業をやらさせられる訳ですから。
そう考えてくると、その過労死の実態に目を向けさせないためには、「遺伝子追加」より「遺伝子組替え」というコトバのほうが都合がいいのですね。
その意味で、生命の安全優先の立場からの用語の新提案が必要になるでしょう−−遺伝子サービス残業追加とか。

(以下、作成中)

トップへ